ひげじいの「ひるがの日記」記事詳細

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2025/10/01

なんとか生きております

クソ暑かった夏もソロソロ終わりかと思っていたら9月末になっても平地で真夏日が続き
近頃は秋を飛ばして冬がやってくるとか?

お中元時期には2週間ほどベーコン小舎に『ベーコンがアーリマセン!』という見込み違いで
お客様に迷惑をお掛けしたりしました。

前回号で書いた枚方の施設に入っていた高山の『ウルサ婆さん』が96年の天寿を全うしてオヤスミになったので、
枚方市内で簡単な葬儀と火葬を行い、生前からの希望で京都のお寺にて戒名をいただき葬儀納骨までしていただいた。
そんなこんなでベーコン不足になっちまったと弁解しておこう。

先月はヒゲ爺も見るに見かねた応援団も頑張ってどうにか在庫も確保したところじゃが、
アライケマセン身内に贈るお中元が済んでいなかったゴメンナサイ。

それにしても京都はオソロシイ街になってしまった。
暑かったのは計算済みだったが京都駅はさながら国際ターミナルの様相。
高校時代に春スキーで信州から帰ってきたら何故かポケットに十円玉数枚しかなくスキーと重いリュックを担いで
京都駅から祇園の我が家まで歩いて帰ったことがあった。

信州大学へ入ったら、松本駅から里山辺の下宿まで歩いて帰るのは当たり前。
京都駅の七條から四条まで歩くなんざ『ヘ!』みたいな距離感になっちまった。

2年生からは伊那市へ移り南箕輪村の農学部から終バスに乗り遅れて歩いて帰るくらいはどうってことなくなった。
更にスキー部の合宿で白馬からの帰り(当時は「信濃四谷駅」だった)から大糸線に乗り
松本からは新宿行きの急行なので辰野駅で連絡があるだろうと降りてみたら飯田線は終電が出たアト。

当時は滑降競技用と回転競技用の2本のスキーを持ち歩いていたので
20㎏のキスリングも担いでヒッチハイクしてやろうと国道に出てみた。
こんなみすぼらしい学生に停まってくれるトラックもなく、結局伊那市の南の端だった小黒部落まで歩くことになってしまった。

そんな体力有り余る学生時代から60年。
歩くといえば週2回ゴミステーションまでの往復800歩と工房内でウロウロするくらいになってしまい、
スキー場では転倒したら息子と孫に助け起こされる羽目になってしまった。

生存確認のために遠くからの来客があるのはアリガタイことじゃ。

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